俗に言う担降りブログかもしれないし、そうじゃないかもしれない

10年来の自担が結婚した

あれから2週間以上経ち、発表以来初めての本人のブログの更新を迎えようという2021年10月15日の深夜。私もこの経緯を記そうと思って筆を取りました。

前々からずっと書こう書こうとは思っていたものの、頭の中に浮かんだ文章を書き記す作業が死ぬほど億劫で重い腰が上がりませんでしたが、そろそろ書きどきでしょう。

最近ESや課題でたったの400字程度の文章を書けと言われても全く筆が進まない私が、こんなにもなめらかに、何もかもそっちのけでMacのキーを叩いているのは本当に久しぶりです。

 

ちょうど感情の忘却曲線と精神の安定のバランスが取れるくらいのこの時期に書き残しておかないと、新鮮な気持ちは薄れていってしまうし、かと言ってこれより前に書いていると、冷静さを欠いていそうだから、今くらいの時期の文章がきっと丁度いいと信じています。

 

では本題に入りたいところですが、前提として。

まず、私は例の件があってからパブサはほとんどしていません。

なので、今の”世間の声”だとか、大方のファンがどう思っているとか、担降りがどうとか、どういう感情を抱いている層が多いのかとかについては、ほとんど知りません。

従って、なるべく自分以外の意見については触れないようにしますが、見当違いの認識があってもご了承ください。

 

あとお分かりかと思いますが、私は尋常じゃなく冗長に文を書く癖があります。

基本的にこの文章は、自分のための備忘録ベース、思考整理ツールとして綴っていくので、もし仮に読んでくれた方がいらっしゃっても途中で挫折するのではないかなと思っていますが、

これからの内容は全て超絶個人的見解であり、一文毎に「※個人の感想です。」をつけたいくらいですので、その点もご承知おきくださいませ。

 

ということで、早速。先述の通り長くなることが予想されるので、現在の私の気持ち・伝えたいことを冒頭に持ってこようと思います。

 

まずは、結婚おめでとうございます。

人生で一番大好きだった人の一世一代の慶事を、少なくとも一般人の中ではいち早く本人の言葉で*1知ることができ、画面越しとはいえその場に立ち会えたことが本当に嬉しいです。

本当におめでとうございます。幸せになって欲しいです。

前々から(とはいえある一点から堰を切ったように、そしてファンに心構えをさせる魂胆は少なからずあったのではないかと思うけれども)、結婚願望は人一倍表出させていたし、一個人としての、少なくとも彼が思い描く人生の幸せを経験できないなんて可哀想だという思いは、年若ながら常に抱いていたので。

 

でも手放しで喜べなかったことも事実です。

手放しで喜べない自分が悲しい、情けないとすら感じました。人生で一番好きだった人の一番の慶事なのに。一緒に喜べない自分が悔しい。

アクセスが集中し繋がらなかった画面を、電車の中で震える手でリロードし、

ようやく開けて目にしたピンク色の幸せ溢れた報告メッセージを目にして、2番目に胸に去来したのは、怒りや憎しみなどそういった本人/ないしは結婚相手に対する醜い感情ではなく、自分に対する失望でした。

 

よく芸能人、特にアイドルが結婚するたびに「自担の結婚を喜べない人は本当のファンじゃない」なんて言う人がいますが、それに対して反論するまでもなく、真に重たい”本当の”ファンだったからこそ、前々から予想していたように私はネガティブな感情に支配されました。

しかし自分の中で”自担”と呼べる存在が初めて結婚してみて純粋に驚いたことは、そのネガティブな感情の矛先がまず向くであろうと思っていた結婚相手に向いたのではなく、「喜べないファンで申し訳ない、情けない」と自らに向いたことでした。

 

そして、時系列前後しますが、まず結婚発表を見て真っ先に抱いたのは「ああ、やっぱりね」という諦めの感情でした。

自担に対する愛やガチ恋な様子を見た非オタから、「自担が結婚したらどうする?w」的な質問を、純粋無垢なる好奇心から不用意にぶつけられたことのある同志は多いのではないかと思いますが、私は大体「死ぬ」と答えていたような気がします。

流石に冗談ですが、でも実際どうなるだろうと想像した時に、まず頭が真っ白になって、それから何も手につかないくらいの怒りに支配されると思いました。

それは最近までずっとそう思っていました。

しかしながらまあ、URLが開けなくとも、「ファンの皆さまへご報告」メールが届いた時点でなんとなく覚悟は出来ていましたし、そんなことを言ったら年初に活動休止してソロ仕事だけになった時点で、まあその時は近いんだろうなと。

こういう風にショックを和らげるように徐々に慣らされてきていたようにも思えて、それはそれで腹が立ちますが、不思議とそこまで感情が昂ったり荒ぶったりすることも、涙が出ることもその場ではなく、実に淡々と事実を受け止めた形です。

 

ここから

①当日の心情変化を書き記すか、

どうして諦めの感情に至ると思っていなかったのかを紐解くために、

②好きだった歴史を振り返るか

の二つの分岐があるのですが、今回は前者から書いていこうと思います。

 

忘れられない9/28当日。その日は自担②の舞台の大千穐楽を見に1人で関西へ飛んでいました。

前日は22:00頃まで働き、4:00起床で朝一の便で、当然寝不足でしたが1泊2日、久々の遠出を折角だから楽しもうとその日は着いてそのまま京都まで足を伸ばし、観光をしていました。

 

超余談なのですが、朝一で縁切り・縁結びで有名な安井金比羅宮も訪れました。

”縁切り縁結び碑”という、人間の(手っ取り早く言うと)欲や願望を書いたお札がびっしり貼られた穴の開いた岩があり、手前から奥に潜る縁切り、奥から手前に潜ると縁結びのご利益があるというものです。

数年前に訪れ、「大学とのご縁がありますように!」と縁結びをお願いした経験もある神社です。

縁切りは犠牲を伴うらしくて怖いし、今回も特に切りたい縁はないけど、自

担③のコンサートの当落が近いし…いっぱい現場入りたいなあ…(BONNO NO KATAMARI)と思い訪れたのです。

だがしかし、いざ碑を潜る段になって、私はあろうことか何も考えずに手前から奥に、つまり縁切りの方向に穴を潜ってしまったのです。

直前に横にある説明書きもきちんと読んでいて、縁結びのお願いしかするつもりもなかったし、

寧ろ縁切りのお願いはタブーだと思っていた私はプチパニックになりましたが、

一緒に居た友人が「自らの意思関係なく切らなきゃいけない縁があったんだよ^^」と言っていたのを今でも鮮明に覚えています…。

10年来の自担との縁がその日中に切られるとは…畏るべし…。

潜る方向には本当に気をつけた方が良いと思いました。

 

話を本題に戻すと。

そんなこんなで夕方までまるまる京都観光をし、舞台は大阪だったので友人と別れ、それ以降正真正銘一人の状態でした。

忘れもしないメールが届いた16:43の私のコンディションは、明らかにスタミナ切れ、このあと自担②の大千穐楽に立ち会えるという気力だけで乗り切っている状態。

 

それであのメールですよ。

届きたてのメールに上からのバナー通知で気がついて、「ファンの皆さまへご報告」この表題にざわつきが止まらなくなって。

出た、来た、赤紙。活動休止発表の時もこんな感じだった。

ジャニーズお得意の本題はメールに書かないスタイル。URLに飛ばないと見られない仕様。

タップすると「アクセス集中しています」の文字。

リロードを繰り返すけど依然として繋がらず。

一瞬Twitterで調べてしまうことも考えたけど、やっぱりこのレベルの報告なら自らの目で、本人の発信する媒体で知りたいと思い只管読み込みを繰り返していました。

繋がってログインしてページを開くとまずピンクのアレがあって、「家庭を持つ」とかいう文字が真っ先に目に入って、ああ…と憑き物が落ちたような気になったのを覚えています。

今この文章を書くために改めて報告メッセージやらメールやらを見返しましたが、未だにあまり気分の良いものではなかったですね。

この辺り、ログとしてツイートが残っているのでそれに触れながら振り返っていきたいと思います。

あまりに生々しいですが…。

 

16:43 メール受信、すぐ開封

16:46 ツイート「何こわい」(この間無限リロードチャレンジ)

16:50←多分開けた ツイート「しんだ」

16:56 「W発表で世間の話題かっさらっていくのもまじで戦略的で腹立たしい*2

17:04 「ラップ聴いてたら泣けてきた 私の好きだった自担はもう100%いないから映像と音楽の中に探すしかないんだなと思った」

 

このラップは確か、「いつか秒針のあう頃」だったと記憶しています。

このラップ好きなんですよねえ…。

甘いだけじゃない大人の恋愛のラップを書かせたら右に出る者はいないと思っているのですが、低音であまりにも格好良い。

あとシャッフルでは皮肉なことに「君のために僕がいる」だかが流れていた様に思います。

私たちのための”僕”じゃなくなることを高らかに先ほど宣言されたばかりだというのに。皮肉な曲選ですね。

 

17:05 「結婚発表で鯖遅くなっててデジチケ開けないの困る」

 

多分この辺りで会場の最寄りに着いていた気がします。

よく乗り換え完遂したと思う。微妙に記憶がありませんし、会場に入る前に水とか買って行こうと思っていたのに全部忘れました。

側から見たら慌てていたようには見えなかったと思いますが、明らかに動揺はしていましたね。

 

舞台の会場内ではその話題で持ちきりでした。

そりゃジャニーズの現場ですし。何なら行きの電車でも聞こえてきました。

そしてその全てをシャットダウンしたい気持ちでいっぱいでした。

なぜならこの問題は私にとっては私と自担、いわば2人の問題であり、私の人生の根幹にあったものが揺らぐなかなかのターニングポイントで、有象無象が介入する余地は一切なく、自担が結婚したところで痛くも痒くもないであろう声に私たちの関係性を邪魔されたくなかったからです。

 

17:34 「降ります 私の好きな櫻井翔はもう居ないので」

17:35 「アイドルにどんだけ一番良い年頃の私の稼いだ金と時間と気力注ぎ込んでも結局いつか何処の馬の骨ともわからない女(編注:大分失礼)と結婚すると思ったら虚しくて死にそう」

 

一生降りないと思ってました。永遠に好きで居続けられると思っていました。

なのに発表から30分で担降り決意。開演30分前に抱く感情じゃないのよ。

しかし講釈をつけるとするならば、この時点でもこれ以降でも本人や結婚相手に対する嫉妬のような黒い感情はほとんど抱いていなくて、後述しますが自分がいまだに終止符を打ってこなかったことに対する怒りや、「アイドルを応援する」ということに対する自らのスタンスが間違っていたのではないかという焦りの方が強かったです。

 

このまま当日はスマホを閉じて、舞台に集中しようとしました。

出来ませんでしたけど。

本当に自担②が出ていたシーンとカテコ以外全部頭から抜け落ちてしまいました。

赤シャツが結婚するしないみたいなシーンの時も心臓ぐりぐり抉られている気分になったことだけは良く覚えています。

 

でも、本当に自分でもびっくりするくらい冷静ではありました。

もっと取り乱すと思っていました。

多分一人で行動していたから、吐き出す場所がなかったからだと思います。

そのまま晩酌でもしよう、酒飲んでないとやってられん。と思ってお酒と少しの食糧を買ってホテルに帰りました。

 

翌日が自担②のグループの結成日だったので、9/28〜29の2日間は自担②を満喫するつもりでした。

折角めでたく自担②が初舞台の大千穐楽を迎え、その場に立ち会い、明日は結成日のファンミだというのに。

こんなことで頭をいっぱいにしていてはいけないと思い、お酒を飲みながら部屋の大画面TVのYouTubeでせくし〜をびしゃびしゃに浴びてました。切り替えたつもりで。

 

そう、切り替えた”つもりで”です。

ホテルに帰り大体30分が経ち、ちょうど日付が変わろうとする頃、何を思ったか私は2017年のライブ映像「untitled」を再生し始めてしまいました。

最近のライブの中でも、一番好きな映像の一つです。

これが運の尽きでした。

OPのGreen Lightで緑のレーザーが煌めく中、赤い衣装で登場した5人を見たら、所謂クソデカ感情が押し寄せて、それまで上機嫌でお酒を飲んでいたのに、訳分かんない大声で泣き出していました。

正にCan’t stop this feeling。

 

思い返そうとしてもどういう感情で何がトリガーになったのか、どう思って涙が出てきたのか、内訳すらも分からないけどただ只管泣いていました。自担がソロカットで映るたびに嗚咽する地獄絵図。

 

もう独身だった、正真正銘ファンのためだけにパフォーマンスしてくれていた自担にはもう過去の映像の中でしか会えないのかと思うと、

これからも歌って踊ってくれたとしても、家族を守るため、家計のためにお仕事をしていることが否応なしに頭にチラつくんだと思うと、

あまりにも悲しくて、そして過去の時間が尊くてキラキラしていて、もう戻れないんだと思って死ぬほど切なくなってしまって、人生で一番レベルに泣きました。

赤ちゃんくらい泣き叫びました。タチが悪いのは私が成人女性だということです。

ホテルの方々ごめんなさい。

そして今後活動休止から復活して戻ってきてくれたとしても、このように歌って踊って格好よくアイドルしてくれることは実質ないのだろうなと悟りました。

悟ってから、自分はアイドルしている自担が一番好きだったんだなあと心底実感しました。

 

もう訳が分からないけど画面の中の自担が格好よくて、と同時にもうこの時間たちには戻れないんだということを痛感させられて、

ファンとして過ごしてきた時間が走馬灯のように頭を駆け巡って、本当にただただ悲しくてお酒を飲んでは泣き叫んでいました。

 

多分30分くらいで泣き疲れて眠っていたみたいです。

6曲目のUBくらいまでしか記憶がないので。

翌朝AM5:00に目が覚めると、ゴミ箱を枕にして床に転がっていました。

折角ダブルベッドの部屋を予約したのに一切使わず。脳内BGMは「あいつが死んだ朝」(『少年たち』より)。

 

これ以降は比較的感情の起伏もなく穏やかに、でも確かに低迷はしたものの、徐々に回復しつつ、日常を過ごし今日に至っています。

今振り返ると、きっとここで発散できたお陰で、比較的綺麗に自担を好きだった自分と訣別できたのかなと思います。

 

人生の半分以上を、彼のファンとして過ごしてきました。

あまりにも大きな影響を受けてきました。

心底尊敬していました。本当に好きだった。

 

進学先、専門、人生のあらゆる選択を自担に依存してきました。

彼が私学出身だったから中学で私学を受け、彼が経済学部出身だったから経済学に興味を持ち,今も学んでいます。

第二外国語スペイン語です。

彼の見たものを私も見たかったし、同じ素養を身につけたかった。

大学も同じところを目指していましたが、いつかの雑誌のインタビューで「自分より何か秀でているところがある人が好き」と発言していたのを見て、じゃあ頭の良さだけでも超えたいと思って進学先を選びました。

彼に相応しい人間になりたかった。彼のようになりたかった。

美しく、気高く、賢く、でもちょっとチャラかったりして。

見た目も麗しくて頭も良いなんて、初めて見た時そんな人がいるのかと衝撃と共に感動したこの憧れを、10年以上ずっと抱き続けて生きてきました。

 

常に自担で頭をいっぱいにしていました。

それが幸せでした。

友人や周りの大人の発言も、人生で触れる全てを自担と結びつけては喜んでいました。

しんどい時も、イヤホンから流れる声に「自担も頑張っているんだ」と心の拠り所にしては頑張っていました。

あらゆる全ての原動力が、自担でした。

 

でもそれは間違っていたと思います。

あまりにも盲目で、全てを依存しすぎていた。

しすぎていたからこそ、今更離れるのが怖くていつまでも離れられなかった。

だから、自分の憧れの存在としての自担像と、個人としての幸せも視野に入れだした実際の自担が徐々に乖離し始めていることにずっと目を背け続けていました。

 

「結婚したら死ぬ」「一生降りない」と心底本気で思っていたように、自担を好きでない自分のことは考えられませんでした。

それは、いくら自担②、③と追加されていったとしてもです。

彼のファンであることが私のアイデンティティで、彼のファンで無くなったら自分が自分でなくなる気がして怖かったのだと思います。

 

大好きで何周も観ている「失恋ショコラティエ」というドラマの主人公爽太の台詞に、

 

「わかったよ。なんで俺がずっとずっとサエコさんを想うのをやめなかったのか。

怖かったんだ。サエコさんを想ってた自分とさよならするのが。

頭の中をいっぱいに満たしてたものを手放して、からっぽになるのが怖かったんだ。」

 

というものがあります。

これを観ていた当時、そして見返すたびに、自分のことのようだと思っていて、

と同時に、想うのをどうせいつかやめるなら早くやめたほうが傷が浅いことも分かっていました。

だけど私はずっとずっとやめられなかった。

最後の方は半ば執着でした。

それは、やめたら自分には何もない、空っぽになってしまうと自覚していたからでもあるし、今までかけてきた全てを否定してしまうように思えたからです。

ありとあらゆる人生の重要な選択の意味づけを全部自担に頼ってきたから、自担を好きでなくなったら自分の今までの人生の意味が見出せなくなってしまう。

自担を好きでない自分を知らないから、心底怖かった。

 

でも今回、やっとやめられた。

ずっとぐずぐずしていたけど、半ば強制的にではありますが、やめる決心がつきました。

やめようやめようと思っていたけどやめられなかったものが、こんなにも自然な形で終わることがあるのかと。

驚きと共にホッとしています。

良い機会を得られたと思っています。

 

10年以上も経てば私自身も成人して、小学生から大学生になって当たり前に変化し成長するのだから、自担もずっと変わらない訳がなかった。

彼も一人の人間で、人生がある。

そのことは頭では分かっていたつもりでしたが、今回やっと実感として、本当に、本当に気付くのが遅すぎましたが、私の人生と彼の人生は根本では関係無いんだと理解することができました。

 

彼を好きな自分とお別れをして、漸く誰かに依存することなく、自分の人生を始められることにワクワクしています。

13年の歳月をかけて、やっと巣立てるのが嬉しい。

遅すぎる自立だし、仰々しいかもしれませんが、人生の新しいステージ万歳という気持ちでいます。

 

だから、文章で伝わっているかは分かりませんが、大部分を占める感情としては今はすごく清々しいんですよ。

そりゃ確かに、2人同時に、しかも総裁選前に発表するのはあざといよねとか、別に前々から取り沙汰されていたお相手のことを知らないわけではないので、色々思うところは無いとは言いませんが。

それらも含めて今回の件で抱いた感情を因数分解しようと一度は試みたのですが、あまりに複雑だったので諦めました。

諦めてそれこそ徒然なるままに、思いつくままに文章を書き始めたのですが、まあ思ったことの6割7割は書けたかなと思うので満足しています。

 

言い訳じみたことを書くと、大体の感情は二律背反だと私は思っているので、好きなのに嫌いとか、自己憐憫と自己嫌悪とか、この文章の中で時系列を辿っている中でも、書いている間も、感情が暗い方へ寄ったり、明るい方へ寄ったりふらふらしていて、自分でも説明し難いんですよ。

だからまあここまで読み進められた方は殆どいないとは思いますが、もし読んだなら,ここ矛盾しているでしょとか、理解し難いとかきっと思う箇所が沢山あったと思います。

でもこの文章はあくまでアイドルに勝手に依存して勝手に情緒不安定になった女の自己満足感情整理ツールなので。その辺りご理解いただいて読んでいただけると嬉しいです。

 

まあまあ長めに書いたので一応公開しておくか、みたいな。

物好きの活字中毒の方にでもちょっと読んでもらえたら、こんなオタクが一応日本のどこかに存在していたということをどこかの誰かが知ったら、ちょっと面白いだろうな、みたいな。

そういう軽いノリで上げてますので…という保険をめちゃめちゃかけておきます。

 

最後に改めて。

些か長引かせすぎた気もしますが、私の青春でした。

心からの感謝を伝えたいです。ありがとう。

そしてなんかちょっと重くてごめんなさい。幸せでした。

多分もう追うことはないので、少し寂しいですが、

私の知らないところでも幸せでいてくれたら良いなと思います。

 

2021年10月15日

しがないオタクの一人より

*1:FC向けのメールで最初に発表されました。私の知る限りでは。

*2:結局ちょっと腹立っててウケてる